sakaikの日々雑感~日常編

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『ふだん使いのマインドマップ』

ふだん使いのマインドマップ 描くだけで毎日がハッピーになる

ふだん使いのマインドマップ 描くだけで毎日がハッピーになる

 最近、マインドマップと微妙に近いような距離があるようなつきあい方をしています。

素晴らしい手法なのだろうけれども、自分が入り込めないいくつかの点があるからです。

 たとえば、知っている曲も少なくて自分は音痴だと思っていてリズム感もない人に、人前で歌え、と言うのはどうでしょう。誰もが心の中に音楽を持っていて、歌うことによる脳の活性化の効果は計り知れないのである、と言ったところで、その行為自体をイヤだと思っている人には酷なことでしょう。

 また、脳内に立体感覚(センス)があって、立体系のパズルを難なく解ける人もいれば、平面でさえ全体の配置や構造を把握できないで迷う人がいる。そんな人に「三次元空間の中で生きているのだから、気を楽にして自然体で考えれば簡単にわかるって!」と言うのは、励ましにも何にもならないことでしょう。


 マインドマップに対しても、似たような部分があります。絵を描くことでイメージが膨らむ、記憶に残る。そう言いますが、人前で絵を描くことに対して抵抗感を持つ人は少なからずいるのです。 「世の中のすべての人が、"絵を描くことは楽しい" と考えている」ということを前提にしたかのようなマインドマップの世界は、自分とは別のところにあるのだろうな、と感じている所以です。

 人が描いたマインドマップを見て、きれいだな、とかすごいなぁなどと、描いた人への尊敬は感じても、自分がそうなりたいという憧れはない。サッカーの試合で、華麗なパスとシュートに感動しても、だからといって全ての人がそんなプレイを目指してサッカーを始めるわけではないのと同じです。


 一方で、こういった「イメージ」を中心とした描画が強調されがちなマインドマップの別の側面として、「構造」という特徴があり、こちらは私は非常に注目しているし、実際にちょっとしたヒアリングのノートは、マインドマップ風(?)の線と単語で記録したりすることもあります。「絵を描かないマインドマップ」というのが、もっと脚光をあびれば、いままで感心を惹けなかった層(私です)にもリーチできていいのになぁと思わざるを得ません。

 「守破離」の「離」のフェーズに入って本当に自由に、それこそ「絵を描かないマインドマップ」も含めて自由に、工夫を重ねている方もいます。でもねぇ、さすがに「守」ができてないのにイキナリそこに行くのもねぇ、、、などと変な遠慮をしてしまうのが、私の私らしいところではあります。


 そこで、本書。 (前置きが長い!w)

今まで読んだマインドマップ系の本の中では、特に「自由」を強調している点が印象に残りました。「まずは描かなければ始まらない」と説く点は、他のマインドマップ本と一緒なのですが、他の本は「とは言っても、こんなルールがあります。こうするといいです。こうすべきです。こういうのはあまりよくありません」とスターターの障壁をわざと高くしていることが多いのに対し、本書では、そんな弊害を多く見てこられたからでしょうか、「違和感あるなら、心地よいやりかたでいいです」と、本人の心地よさを優先するポジションを徹底しています。


 マインドマップの中心に描くのは「セントラル "イメージ"」なのであって「セントラル "ピクチャー"」ではない、の言葉が心に残りました。

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