sakaikの日々雑感~日常編

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コンタドールが10秒と引き替えに失った大きなもの

 ツール・ド・フランス2010第12ステージで、チームメートのヴィノクロフが単独で逃げてステージ優勝を獲得できそうなシーンで、集団からアタックをかけてヴィノクロフを追い抜いてしまったばかりか、一緒についてきた他のチームの選手にステージ勝利を与えたコンタドールの行為に対して、賛否合わせ様々な意見が出されているようですね。
 多くの場合それらは、「チームメートを勝たせるべきだった。アレは許せん」や「総合を狙うという勝負なのだから人情ではなく力で行くのは正しい」など、今回の事象の一側面だけを捉え、あたかもそれがすべてであるかのような論調のように見受けられます。一側面ずつの議論であれば、非常に狭い範囲の前提条件を元に結論を出すので、百出している論は、それぞれの立場での正解であることは言うまでもないでしょう。 そこには議論は成立し得ないし(だって前提条件が違うのだから)、内側に籠もった論でしかないので、先につながる何もありません。


 私がここで書きたいのは先につながる話、つまりコンタドールはあのアタックをすべきだったのか否か。そしてそこから我々が得られることは何か、という視点での話です。
 私自身は、コンタドールは「行くべきではなかった」と考えています。日本語で言うと「朝三暮四」だからです。リーダーとしてどのように立ちふるまうべきか、これは私自身のここ数年の大きなテーマでもあります。もちろんスポーツの世界ではなく仕事の世界での話ですが、人と人がひとつのチームを形成し、いくつかの共通の目的を達成するために努力をするという点で、本質的に同じものだと確信しています。
 さて、その「チーム」において、リーダーの役割とは何なのか。営業チームであれば「俺がチームの売上を全部上げてくるからおまえらは何もしなくていい」という辣腕リーダーがいてもいいでしょうか? 存在を否定するつもりはありませんが、私はそのようなリーダーがいる状態を「チーム」とは呼びたくありません。 リーダーは、メンバーに助けてもらってこそ自分のチームの成果を挙げられるはずです。自転車レースのチームもまさに同じで、アシストがいてこそリーダーが活躍できるのは、HTCやジロでのリクイガスを思い出すとわかりやすいでしょう。


 今回第12ステージのコンタドールの行動は何を引き起こしたか? ライバルの不調を敏感に察知して勝負を仕掛けた。この点はすばらしい洞察力に拍手すべきでしょう。単純極まりない発作的な行動は棚に上げておくとして。
 前方には、チームメイト。このまま行けばステージを取れそうだし、恐らく本人も取りたがっていると思われる(ここは想像ですが、ゴール後の悔しそうな様子や翌日の執念の勝利を見ても、この想像は誤っていないでしょう。確信があるわけではありませんが、これを前提にしないと話が進まないので、ここでは勝ちたい気持ちがあったことを前提とします)。この状況の中で自らのアタックがこの勝利を奪う可能性があると知った上で、自らの「数秒」を獲得する行動に出た。 チームメンバーにとってこのリーダーの行為がどのように映るかは、各自自分の仕事環境を鑑みれば想像に難くないでしょう。
 自らの努力に対して、リーダーの裏切りとも取れる行為。あるいは成果を横取りするかのような行為。 仕事の現場ではよく目にします。さて、今後はどうしましょう。 「仕事だから」と、今までとまったく同じ姿勢で同じ忠誠心で成果を挙げられる人は立派だと思います(あるいは今回の件くらいはでは影響がないくらい今まで余程パフォーマンスの悪い仕事しかしてこなかったか(笑))。 もちろんプロとして、今までと同じ対応を心がけるのは当然のことです。しかし「ここぞ」という時に、もう一がんばりできるか否か、それがまさに「良いチームかダメなチームか」を隔てているものなのです。 あと少し作業をしたい時に終電間近。ここで終電逃して徹夜になってでも仕上げてしまおうと思うか、終電を理由に今日は帰ってしまおうと思うか。 このボーダーライン上の判断が必要になった際に助けをもらえなくなるリーダーの行為。 それが今回のコンタドールだったのだと考えています。
 非常にわかりやすい言い方をしてしまえば、コンタドールにとっての損得として今回の行為は単純に「損」だ、というだけの話です。


 これから厳しいピレネー。 ヴィノクロフが自らもギリギリまで辛い状況でもうひと頑張りアシストしてくれるか、その瞬間に今回の行為が頭を過ぎってしまうか。 
 コンタドールピレネーを前にして新たな10秒を手にするのと引き替えに、目に見えない大きなものを失ったのかもしれません。